1995・1・17 阪神・淡路大震災
- horiuchiclinic
- 1月17日
- 読了時間: 4分
30年前の阪神淡路大震災によって亡くなられた方々、被災された方々に心よりお悔やみ申し上げます。

当時、私達も神戸・花隈町のマンション6階で震災を経験しました。
私は眠っていたのですが突然、体が跳ね上げられる衝撃で目が覚めました。
奥さんは私より少し前にゴーッという地鳴りで目が覚め…
「この音何だろう?」と思った次の瞬間に何が起こったのか訳が分からない衝撃を感じ
「大型トラックが部屋に飛び込んで来たのか!」と思ったそうです。
神戸生まれ神戸育ち、勤めも三宮だった奥さんは、それまで殆ど地震の経験がなかった様で自分が感じたショックが何だったのか最初は理解できなかった様です。
私も神戸生まれですが、父の仕事の関係で小学生の頃から埼玉県の浦和市や東京に長く住んでいました。
大学卒業後に取得した鍼灸や柔整の資格も東京ででした。
ご存知の方も多いと思いますが東京はかなり地震の多い所です、震度3やそれ以上の揺れも何度も経験していました。
震災に遭うまでは、寝ている時に地震で激しい揺れにあったら寝転がりながら移動しようとか考えていたのですが震災の揺れはそれこそ想定外でした。
縦揺れが激しくて動くことなど全く出来ず、仰向けのまま両手で布団のヘリを掴んいるだけでした。
今までに経験したり想像もした事のない状況にいるのはすぐに分かりました。
「天井が落ちてきて圧死するのはどんな気持ちだろう?」とか「マンションが折れて崩れ落ちるかもしれないな」とも考えました。
人は死ぬ時に今までの経験や思いが走馬灯の様に脳裏を駆け巡ると聞いたり読んだりしたことがありますが、自分なりになる程とも思いました。
リビングは無茶苦茶でテレビも吹っ飛んだりしていましたが幸い二人共ケガもなく無事でした。
興奮していたのでしょう、昼過ぎ頃には二人で家の中をすっかりキレイにしていました。
最初に私がリビングに出ようとした時、後ろから奥さんが「足、危ないからスリッパ履いて」と言い「俺より落ち着いてるな…」と思いその時ばかりは奥さんを尊敬しました。
揺れのすぐ後に部屋の外に外に出てみると、エレベーターは止まっていましたがマンション自体には大きな被害は無い様なので一安心しましたが、街全体は異様な感じで静まり返っていました。
部屋の中を片付けた後、奥さんと奥さんの職場のビルの様子も見ながら元町にある治療院に向かいました。
途中でたくさんの人を見たり人とすれ違ったりした筈なのですが…何故かその記憶が殆どありません。
家を出た後、狭い道はガレキで通れなかったり危ないので、なるべく大きな道を通る様にして歩きました。
ぺしゃんこになった家やレンガ張りのレトロな良い建物だと思っていた銀行が完全に崩壊しているのを見たりガスの匂いがするのを感じたりしながら歩きました。
治療院に行く途中も生田神社の倒壊を目の当たりにし、生田新道の向かい合ったビルが何棟も今にも倒れそうに道路の方に傾いていました。
この様子では治療院は多分駄目だろうと覚悟しながら行きましたら玄関前、本当にギリギリの所に衝撃が走った様でコンクリートの道が大きく割れてめくれあがっていました、が…幸いビル自体も治療院も無事で「有難い」と思いました。
治療院の中はあまり物を置いてなかったので散らかってはいませんでした。
しかし、治療用のベットが三台とも脚が上向きの状態でひっくり返っていたのには驚き、どんな大きな力がかかったんだろうと思いました。
治療院は翌日から開院しましたが、当然ながらどなたもいらっしゃいません。
現在もそうですが、来院して下さる方達の殆どは電車か車です、当時は携帯電話もありませんでしたからカルテを一枚一枚見ながら安否確認の電話をし続けました。
電話の向こうでは着信音が何回か鳴るのですが、すぐにツゥーッという音がして電話は切れてしまいます。
今でもその音は耳に残っています。
道路が使えるようになると、いろいろな県のナンバープレートの様々な車両や、後にボランティア元年と言われたと記憶していますが、沢山のボランティアの人達が応援に来てくれる様になりました。
少し後になりますが、久しぶりに高架の上をJRの電車が走るのを見た時は復興を感じて感激しました。
余談ですが、女性はそれなりの清潔さを保てないと男性の何倍にもストレスになるという事も知り、治療の時にも覚えておこうと思った事もありました。
自衛隊がお風呂を設置してくれた時には本当に嬉しかったでしょうし癒しになったと思います。

些細と思われる振動にも敏感になった事、震災の年の春に見た、美しく咲いた桜の花も忘れられません。
南海トラフの事などもありますが、生きている間はいろいろな意味でそれなりの覚悟と備えは必要だと思います。
今、こうやって治療院を続けながら皆さんとお会いでき、生きている事に感謝しながら過ごした30年目の一日でした。
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