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”気"と”陰陽“


神戸の街にも随分人の出が多くなって来ました。修学旅行らしい中学生たちも見かける様になりましたし先日元町の喫茶店に入ったのですが「神戸ってこんなに人が多かったかな?」と思うぐらいでした。


困難な状況も多い中ですが街は明るく軽やかになって来た感じがします。


でもいろんな意味でコロナ以前とは時代も変わりましたしもっと”気"を出して"気"を巡らせて生活して行こうと思います。


以下は少し”気功研究会”の復習的な文章かな?


また例の”気"と”陰陽“の事を考えました。はるか大昔の人古代の人達は"気”や”陰陽思想”なんて事よく考えついたなあと思います。そしてそれは現代物理学の「素粒子」の法則や働きともそっくりの様です。


その古代の人たちはとても現実的現世的な人達だった様で大昔にもかかわらず”気”や”陰陽思想”に神話的神秘的な要素は全くありません。


「素粒子」と同じ様に”気”(陰陽の気)は私たちを含むこの現実世界を構成する最小単位のもので法則をもって常に動いているものまた物を構成していない”気”は私たちの周囲宇宙に充満しているとされています。


例のワトルズさんの言葉では「始源物質」「思考する物質」また”陰陽思想”と共通の言葉では「混沌」です。


こういう事からしても”気功”をしている私たちが自分の「心」の状態の事を考える時には「不動心」ではなく「五輪書」の中で武蔵が書いている様に「心を静かに揺るがせてその揺らぎが片時も止まることが無いようにせよ」に重きを置く方が自然です。


「素粒子」は目に見えるものと見えないもの物質的なものと非物質的なものが一対ペアになって存在しているのだそうですが”気”も相反する二つのものが一対ペアになって存在するとされています。

”陰陽“はその相反する存在働きの事を言います。


目に見えるものと見えないものプラスとマイナス・寒熱・気体個体・上下・左右・天地・動静・・など正反対のものが一対ペアになって私たちを含めたこの現実世界は出来上がっていて正反対のものどうしの比率は常に変化しているという考え方が「陰陽論」「陰陽思想」です。


「陰」と「陽」が対等同等の状態ということはありません。それは全く動き変化のない世界という事になってしまいます。どちらかに重きを置く比率が上がると変化動きが出ます。


”気”や”陰陽論”からすると「安心立命」や「絶対的なもの」はもともと存在しないことになります。ですから私たちの心身生活人生に”気”を活用する”気功”は神様や悟り宗教的なものとは関係がありません。


”気功”をしている私たちが”気"や”気”の働きに「感謝」するのは当然ですし必要なことだと思いますがそれは神様的なものへの感謝とは違います。”気"と自分自身を肯定することに近い感覚です。


こういったことは知らなくても”気功”はできますし続けていれば他者また自分自身への”気功”は上達して行きます。でも少しこんなことも覚えておけば気功”がよりし易くなると思います。



* 寒くなってきたので体にカイロを貼る方も多くなってきた様ですが”気功"的ツボや気の流れである経絡的に言うと大きなカイロよりミニの貼るカイロの方が効果的です。


大きなカイロはツボやいくつもの経絡の流れを巻き込み過ぎて効果が相殺されてしまってせっかく温めても治療的な効果はもうひとつです。


ツボや経絡の流れが分からなければご自分の貼りたいと感じるいくつかの場所それぞれの中心と思うところに貼れば良いです。


またカイロは温める側べたつく面を自分の方に向けず反対外側に向けます。貼っているカイロが温かく感じなくて構いません。身体はちゃんと反応して温めるべき部分を温めてくれます。


この貼り方でもうそこがカイロを必要としなくなると極端に熱く感じたり不快になったりします。

そうなればカイロをとって他に貼りたい場所がないか探します。あれば同じ様に貼るし無ければその場所のカイロは当分いりません。


してみれば要領はすぐに分かりますし身体も気分も楽になって来ます。
































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